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初期の下着 |
古代において、男はふんどし状のものを、女は腰巻状のものをもって下着としてきました。(⇒ふんどしそのものについては「褌ものがたり」越中文俊(こしなかふみとし)著・心交社に詳しく記載されています。また越中氏のHP「褌」も参照されたい) 女性はその性器の形状が外部に露出している訳ではないので、腰蓑(=スカート)のように陰部を覆うだけで十分下着としての役目を果たしたと思われます。布を直接性器に密着させるということは、生理の時以外にはなかった発想です。現代の下着(パンティー)のような形状になったのは歴史的に見て比較的新しいことです。普段はスカートのような布で下半身を覆う・・・これが女性下着の原点であり、且つ日常の下着であったと思われます。即ち女性下着の基本は「性器に布が密着しない」ことです。 |
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生理時の下着 | ||||||||||
しかし生理の時だけには例外的にふんどしのようなもので性器を覆いました。この生理時の女ふんどしのことを戦前までは「生理帯」とか「月経帯」というように呼んでいました。この生理時の女ふんどしは戦前までごく一般的に流布していたようです。その広告も「ふんどしタイプの月経帯」というような記述が見られたり、あるいは女性雑誌などに月経帯の作り方が記載されたりもしていました。しかもこの生理帯は下の着用例をみてもわかる通り、その形状はかなり本格的なふんどしであったことが伺えます。 しかしこれも所詮は生理時のナプキンの代わり、ということで日常的な下着ではありませんでした。 |
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更に布(=織物)がまだまだ貴重品だった昔では、布を下着に使用したのはごく限られた裕福な人たちだったことでしょう。そういった人たちでさえ布の使用は極力控えたと考えられることから、そうなると必然的に腰紐には植物の蔓(つる)や糸を撚(よ)り合わせた紐などを用い、布は陰部を最小限に覆う程度にしか用いられなかったと推定されます。 平安時代(984年)には丹波康頼が著した日本最古の医学書「医心方」に月帯(けがれぬの)という月経帯があったことが記されています。このほか月経帯は「お馬」「もっこふんどし」と呼ばれることもありました。「お馬」とは、馬が糞を落とさないためにつけた馬の褌から来ています。 十三四 姫はお馬を のりならひ 雪隠で 手綱さばきを する女 などといった川柳はこれらの月経帯を指したものです。 歴史的に更に遡って調べてみますと、生理時には普通はふんどし状のものよりもタンポンのようなものを用いたようです。言うまでもなく女性性器は穴が開いています。開いている穴ならば蓋をすれば良い訳です。初期のタンポンは絹を芯となる棒に巻きつけて性器に挿入していました。処女性が重んじられなかった時代には、女性器に異物を挿入することなど、なんでもなかったのです。 |
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メーチャー=沖縄の生理用下着 | ||||||||||
沖縄ではこのふんどし状の月経帯のことを「メーチャー」と呼び、明治期まで用いられていました。戦時中にも物資不足からメーチャーが一時期復活しましたが、今は廃れてしまいました。またこのメーチャーは農村などでは生理時以外でも日常の下着として着用していたという報告もあります。メーチャーは「メーチャーグヮー」とも呼ばれ、越中ふんどしを逆さまにしたようなもので、前の方から布を股にくぐらせて、後ろで結んでいました。色は黒が主流です。 このメーチャーについては残念ながら写真資料がありませんので、文章だけの報告となります。 |
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中国製の生理帯 | ||||||||||
下の写真は中国製の生理帯です。前から見ても後ろからみても、立派なもっこふんどしです。しかも幅は10cmにも満たないほど細いので、これでは動くたびによじれ、くびれ、食い込み、果たして生理帯の用をなすのでしょうか? | ||||||||||
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T字帯 | ||||||||||
病院でも時には特殊なふんどしを使用することがあります。ご存知の方も多いでしょう。T字帯と言われる、越中褌の類です。女性は専らお産の後の産褥回復のためこれをお召しになることがあります。しかし病院で使用するT字帯などはもうふんどしというよりも、単なるガーゼ或いはおしめと同じでしょう。とは言ってもT字帯の形状は基本的にはまったくの「越中ふんどし」なのです。 T字帯がすっかり気に入り、退院後もずっとそれを着けている、という女性がいないとも限りませんが、常用下着としては少し疑問が残ります。しかし筆者の知人の女性(経産婦)は、夏の蒸し暑い夜などにはパンティーの代わりにT字帯を使用しているとのことです。 |
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手作りふんどし | ||||||||||
「河童堂」というサイトを運営運している「かっぱちん」さまも手作りふんどしを常用されているようです。もともと肌が弱い彼女が試行錯誤の末にたどり着いた解決策がふんどしだったようですが、これはなかなかかしこい選択と言わなければなりません。但しその形状については大いにアドバイスの余地がありますが、まぁそれはこの際目をつぶりましょう。 またこちらのサイトでも時々女性による手作りふんどしの写真を見ることがあります。 |
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読者からの投稿 | ||||||||||
「私は日常の下着として、こんなふんどしをしています!」(下の写真のコメント) |
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当協会に寄せられた匿名の投稿です。・・・こういうような匿名女性さまが写真と共にどんどん名乗り出てくれるといいのですけどね。 エジプトの壁画などで踊り子(女性ダンサー)の服装にふんどしに近いものが見られます。あれは単に腰蓑の類なのか、それとも股を通すふんどしタイプなのか・・・。ローマ帝国時代の女性の服装は薄布をまとっただけのようですが、その下にふんどしをしていたのか・・・。手塚治作「ブッダ」の最初の方に、身体の弱いシッダールタのご機嫌を取ろうと、踊り子たちがふんどし姿で踊るシーンがありますが、あれは手塚氏の創作なのか、あるいは本当は古代インドでは、サリーの下はふんどしだったのではないか・・・。これらの疑問は今後の調査に委ねることとします。 *このサイトは「ふんどしビキニ調査隊」(日本ふんどしビキニ保護振興協会公式サイト)を元に作成しています。 トップページ 女ふんどしの起源 女性の下着 海女 女相撲 祭りの衣装 切腹 性生活 外国の女性下着 |
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